オバサン先生の再出発

児童英語にかかわって27年余り。当時のピチピチ?お姉さん先生もオバサン先生になった。27年も同じ仕事をしていると自分なりの英語教育観やこれは絶対譲れないという価値観などが明確になってくる。27年前と比べれば格段にレッスンの運びも内容も良くなったと思うのだが,いかんせん年齢から来る「老いの症状」には勝てない。

まずは「疲労感」。若い頃は、レッスン後にダウンタウンで友人達と会ってさんざん飲み食いした挙句、終電ぎりぎりに帰っても次の日にはシャキッとレッスンをする事ができたが、今では1日のレッスンが終わると1日分のエネルギーを全て使い果たしたようになり、早く家に帰りたいと思う。

次に顕著な症状は「老眼」。Teacher’s manual は Student bookに比べ文字が小さいので見えにくい。辞書を使わせている5年生以上のクラスで、辞書の漢字を聞かれた時にゃ、さあ大変!さらに小さな文字を読み取らなければならない。昔はどんなに酷使しても両眼ともよく見えたというのに・・・

今では覚悟して「老眼鏡」を時々着用している。面白いのは、私のめがね姿を見慣れていない小学高学年以上のクラスでちょっとした戸惑いがあること。彼らは小さい頃(約7~9年前)、ピチピチとはいかないけれど、30代の私と会っている。30代といえば公私共に充実した頃である。老いの恐怖などみじんも感じることなくレッスンに取り組んでいた。やる気満々の先生であったのだ。「めがねの先生」との初会見はドキッとしたのかもしれない。

最後に極めつけは「寛大さの減少」。これは少なからず生徒たちに影響があるので、大問題である。声帯の手術をしたので声量がかなり落ちているという事もあるが、一声連打で生徒(特に4~6歳まで)を動かす事がむつかしくなった。特に年少のクラスはレッスンにスピードが無くてはならない。が、大きな声を出す為には多くの空気を肺に入れなければならないので一呼吸する間がレッスンのスピードを多少落とす事になり、年少の子ども達は、その間に集中力がフッと切れるようだ。そこでザワザワ。そしてイライラ。またアクションのある歌を歌ったあとなども息切れを普通に戻すのに時間がかかる。それに伴う発汗も私にとってはクセモノである。レッスンの途中で汗をぬぐう姿は生徒たちにはどう映っているのか・・・そこでガタガタ。そしてイライラ。

子ども側の責任ではなくこちら側のワケであるのだが、つい叱ることが多くなった。 ああ!昔はこんな事はなかったのに・・・しかし自覚せねばならない正念場にきてしまった。それは今年の4歳児からの発言である。

「先生は何でいつも困った顔をしているの?」

今まで「いつもニコニコしているね」とは言われても困った顔とは言われたことが無かった。知らぬ間に表情に出ていたのか~?ちょっとショックだったなあ~。しかしこれをきっかけに自分を見つめなおし、レッスン方法の工夫を再考慮してみる時がきたのだと思った。私もここらでちゃんと覚悟を決めて「オバサン先生」として再出発しなければならないのだろう。

・・・と考えてはや1年。私なりに何とかやってきたつもりだが、さて生徒達の私への評価はいかがでしょうか?

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